トヨタクラシックカーフェスタ in 神宮外苑

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2012年5月に長久手にお邪魔したのですが,神宮外苑の方にもおかげさまで出場することができました.お天気はなんと言いますか,全パターンが登場した感じでしたね.帰るころにはもう寒くて.

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(展示エリアをはみ出していたかもしれません.すみません.)

今回もいろんな方から話しかけて頂きました.「初めて見ました」という方が一番多かったでしょうか.『初めて』とは,「実車を初めて」あるいは「このように妙な車を初めて」の意味だったかと思います.できるだけご質問にお答えしたつもりでしたが,うまく説明できていましたでしょうか.

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ということで車の写真を撮るのを忘れております.あとモデルさんのお一人とお話することができまして光栄でした.お疲れ様でした.あ 某有名イラストレーター氏も出場しておられたようでした.



こんな鍵です.
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トヨタ博物館 第23回 クラシックカー・フェスティバル

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去年は途中でどしゃぶりとなりましたが,今年は天気が良過ぎて日光アレルギーの症状が出ました.こちらのパレードは沿道の方が手を振ってくださることが多く,和やかです.

1泊2日で名古屋と東京を往復するのは疲れました.しかし新東名はあまり疲れずに走れます.走ってるクルマも少ないし.

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第23回 トヨタクラシックカー・フェスティバル

審査に通ったので5月27日のイベントに出てきます.
ただ,イベント当日の日曜日のうちに350キロほど車載車を転がして帰宅しなければなりません.

出場予定車両リストはこちら(上半分下半分).今回はゼッケン66番でした.A310を間近で見ることができそうで楽しみです.

去年の様子はこんな感じ.ゲリラ豪雨で困りました.今年は晴れればよいのですが.

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NSU小史

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車載トラックを借りて名古屋まで

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場所はいわゆるモリコロパーク


2011年5月22日に名古屋で行われたトヨタクラシックカーフェスティバルで「車博士賞」を貰ったのですが,そのとき審査をされたトヨタ博物館の方(その方が車博士)に「よくできています」と言われたパネルの中身を一部再構成して以下に書きます.

パネルというのは,今回持っていった車がNSUというマイナーなメーカーが作ったプリンツ4というこれまたマイナーな車両だったので,おそらく説明をしないと「ものすごく古いカローラ」と間違えられる懸念があったことから(いや冗談ですが),A1サイズのパネルの半分に「NSU小史」と題して説明書きを書いたのでした.

残りの半分には現車そのものの説明を書きましたが,それはまた後日.

***

NSUという,がんばったけどVWに買われてブランド名までもが消えてしまったメーカーの小史.

 まからおよそ130年前の1873年、ハインリッヒ・ストールとクリスチャン・シュミットにより建てられた工場で、ニットを織るための動力式織機の設計と製造が始まりました(豊田佐吉翁を思い出しますね)。
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【初期の工場】

・社名は会社・工場がある、ドイツ南部のNeckarsulm(ネッカーズルム)という地名にちなんでNSU(エヌエスウー)としましたが、この地名はそもそもその地を流れ合流する、Neckar川とSulm川から採られており、そこから N とSU を取り出し社名としたのでした。factory2.PNG
【NSUの2輪車生産工場】

・2人が作った織機は順調に売れ、技術力の高さを広く認知されるに至るのですが、若い2人は自転車、それから小さなエンジンを載せたバイクの製造に徐々へと軸足を移し、1892年にはそこがドイツで始めてのバイクの製造工場となります。もちろんバイクは性能に優れたもので人気があり、1901年には、最新設計でボールベアリングをきちんと用いた、とてもよく走るバイクを生み出していました。当時の1.5馬力エンジンはスイスのZebel社などからの輸入ユニットでした。

・1903年から独自にエンジンを設計・製造しはじめ、翌年には6種のモデルを製造するに至ります。また、その頃から彼らはレースにおいて好成績を収めることが、販売と技術の増進に繋がると考えていました。そして実際、何度も優秀な成績を収めました。
・1909年(日本では明治42年:伊藤博文が暗殺された年)にはなんとV型2気筒、およそ800ccのエンジンを作るほどに成長したのです。

 動車製造の風が南ドイツの田舎町にも本格的に吹き始めたのはこの頃からです。アメリカでは1908年にT型フォード(Ford Model T)が発売となりました。T型はその後およそ20年間に渡って、廉価かつ品質を維持したままの大量生産に成功し、1500万台以上生産された歴史的自動車です。
・一方、NSUの自動車用エンジンのバリエーションはすぐに1300ccから3600ccまでに至り、タクシーやトラックまで製造を手がけるようになりました。そして第一次世界大戦となり、いささか生産規模は縮小したものの、今度は軍用車両(2輪・4輪)を製造するようになります。

・そして戦争が終わり、また通常の2輪と4輪の製造に注力します。NSUのレースでの活躍は1923年からの4年間が特に目覚ましいものでした。余談ですが、現在のところAudi R8がフルアルミボディ(一部マグネシウム合金)で有名ですが(HONDAのNSXもですね)、いまから90年前に出た1923年の8/24というモデルは何とこのとき既にオールアルミボディなのでした!

・ところが無理が祟ったのか4輪部門は採算に問題を生じ、1928年に一旦イタリアのFIATに売却されてしまいます。1932年までの間、NSUの4輪はFIATの経営で生産されました。しかし1933年、NSUはアドルフ・ヒトラーの「国民車(Volkswagen)」構想からの要請によってフェルジナンド・ポルシェ博士が開発することとなった車のプロトタイプ、Porsche Typ32をその依頼により製作しました。その後、徐々に息を吹き返しオペル(社名の正式名称はアダム・オペル)の2輪車部門を買い取り、2輪車の生産と販売が再び伸びを見せはじめます。factory3.PNG
【ポルシェ博士とTyp32】

・ヒトラーの下でドイツは再び戦争(第二次世界大戦)に突入し、NSUは再度軍用車両の製造を担当します。(下の画像はケッテンクラート(Kettenkrad)と呼ばれる無限軌道バイクです。いまこのレストア車両を手に入れるには1000万円以上掛かります!)
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【ケッテンクラート】

・終戦後は、まず高性能2輪車で名を知られるようになります。Quick、Fox、Lambretta(イタリア、イノチェンティ社からの委託生産)などが大いにうけ、名車Maxが登場したのが1953年でした。かっこいいデザインと素晴らしいエンジンが特に評判でした。往時を知るバイクファンに言わせると、当時のBMWなどはNSUに比べると話にならなかったということです(贔屓目?)
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【NSU Max】

 NSUのエンジンの一つの特徴は、吸排気バルブの開閉をさせるための機構がOHVのようなプッシュロッドやOHCでのチェーンなどを通じた動力伝達ではなく、エキセントリックロッドによるOHC形式のカム駆動というもので、チェーンのようにテンションを調整する必要も、チェーンが伸び次第にバルブタイミングがずれるというようなことも原理的には起こらない、これは真に画期的なメカニズムをもつ空冷エンジンでした(ultramax systemの図解)。

・1950年代後半に4輪を再び生産し始めます。リアエンジン車のPrinz I と II です。エンジンはバイクのMaxのシリンダーを2つくっつけて作った598ccの20馬力というものです。またそのころ、フェリクス・ヴァンケル博士がNSUに来ており、ヴァンケルモーターとも言うべきロータリーエンジンの開発をしていました。

・さらに、1959年にそのボディをベルトーネがデザインしたSport Prinz(シュポルトプリンツ)という、リアにエンジンを背負ったクーペが登場します。生産はイタリアのトリノでのものでした。搭載エンジンは30馬力に高められ、これはPrinz IIIや後のPrinz 4という、Prinz IIの後継車種にも搭載されます。
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【シュポルトプリンツ】

 1963年についにヴァンケルモーターが陽の目を見ることになります。Sport Prinzのエンジンを1ローターのロータリーエンジンに換装したオープン2座RRオープンカー、Wankel Spider(ヴァンケルシュパイダー)の登場です。最高出力は50HP/5500回転となり、もともとの598ccのエンジンのおよそ2倍の高出力、かつ低振動のこれは、当時の人々をあっと言わせました。
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【ヴァンケルモーター】

・ところがやはり新技術はある程度の熟成の期間を要するもので、トラブルが頻発するエンジンともなってしまいました。1960年にこの技術を10年間契約することに対して、2億8千万円を投じて買ったマツダ(東洋工業)が、買った後で驚愕したように、特にアペックスシールについての完成度が全く不足していたのです。また、運転者もアクセルワークに注意を払わねばならない車なのでした。結局、このドイツ製の小粋な俊足オープンカーは2400台が生産されるにとどまりました。
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【ヴァンケルシュパイダー】

・同じ年1963年に、今回の展示車両Prinz 4が登場します。ボディのデザイナーは、後にAudiやBMWのいくつかのモデルのデザインを担当するクラウス・ルーテ(Claus Luthe)によるもので、なんとPrinz4の設計の最中に彼が幹部から見せられた、シボレー・コルベアにそっくりなのでした!(デザイン要素を敢えて取り入れたのでした)
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【シボレー・コルベア】

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【プリンツ4】

・日本車にもこのデザインは影響を与えました.ハチマキグロリアと呼ばれたグロリアは特に有名ですね.
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【グロリアスーパー6(プリンス・日産)】

・Prinz4の後継はレースで活躍します。Prinz 1000 TT、TTSといったソレックスキャブレタを積んだ1000cc空冷エンジン車はリアエンジン車ながらハンドリングにも優れ、ライバル車を追いかけ回すことができたのでした。
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【Prinz 1000 TT】

・この後、Ro80(通称ローエイティ)という、空力特性に優れた(Cd値は0.355!)ロータリーエンジン車が1967年に登場します。この頃からモータリゼーションの時代が進展し始め、より快適な、装備に優れたファミリーカーをうちの父さんも買うよ!というような、家庭における自動車文化も次第に発展することになります。しかしこの車もロータリーエンジンの難点から逃れることはできず短命となり、そしてこのことがNSUの経営に致命的なプレッシャーを与えることとなるのです。
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【Ro80】

・そのような中で、NSUはRo80と同時期の1969年にK70という水冷エンジンをフロントに載せたセダンを開発し(車名はKolbenのK(コルベン、ピストンの意味)と70馬力の意味から)、それをまさに発表しようとした直前に、VWがNSUを買う意思決定をします。またそれを遡ること5年前、1964年にAudiは既にVWに買われており、VWの中でNSUとAudiは統合されてしまいます(Audi NSU Autounion AGという会社)。VWは戦後から延々売れ続けるファミリーカーとしてのType1(いわゆるフォルクスワーゲンビートル)のイメージを、いわゆる、他社・他国でのファミリーカーのイメージに近いスタイルに転換するために、NSUのK70を手っ取り早く欲したのでした。車名、ブランド名としてのNSUの名前は1969年のフランクフルトショーの時点で車両のエンブレムから消え、この車はVW K70という名前で1975年まで生産されることになります(NSUが開発したのに!残念)。ただし、NSUという会社は現在も存在します(Audiの経営によるNSU Gmbh)。
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【VW K70】

・1977年にロータリーエンジン関係の研究開発は廃止となり、ヴァンケルプロジェクトは結局頓挫します。NSUの技術者たちはVW/AudiのGolf(ゴルフ)、Passart(パサート)の開発に注力します。そしてAudi 50が1974年に登場し、これはそれ以前に廃止となったNSUのPrinzシリーズの需要層を吸収するため、また翌1975年に登場予定のVW Poloのための販売予測のデータ集めのために市場に送られたものなのでした。これがPrinzの後継車種ということになります。
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【Audi 50】

して嗚呼、ついに1984年にNSUの名前はVW/Audiの経営戦略により、消滅することになります。しかし、いまでも彼の地ネッカーズルムの工場では、日本でも大きなシェアを持つようになったAudiのA2、A6、A8、そして見てびっくり、乗って割と普通のスーパーカーR8(義兄談)、さらにはLamborghini Gallardo(ガヤルド)などの生産を、かつてのNSUの工場を知っている地域の人たちやその子供・孫などが行っているのです。(終)


※この文書は、その原典をhttp://www.nsu.nu/history1.htmの“The History of NSU in my words”に取り、独自に抜粋、翻訳、補足、引用などをしたものです。

画像の出典はそれぞれ以下の通りです.
初期の工場,NSUの2輪車生産工場
http://www.nsu.nu/history1.htm
ポルシェ博士とTyp32
http://eronalves.wordpress.com/category/especial-de-sabado/
ケッテンクラート
http://www.kettenkrad.com/Kettenkrad.gif
NSU Max
https://blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_eee/dorflueren/nsu20max.jpg
シュポルトプリンツ
http://www.motor-talk.de/bilder/impressionen-aus-dem-audi-forum-neckarsulm-g83889/sport-prinz-i202757509.html
ヴァンケルモーター
http://images-mediawiki-sites.thefullwiki.org/07/8/1/4/8685033682596274.jpg
ヴァンケルシュパイダー
http://www.nsuclubjapan.com/100423/WANKEL.htm
シボレー・コルベア
http://www.drive.ru/images/chevrolet/chevrolet-corvair.jpg
プリンツ4
http://www.sunautoproject.com/saleresult/nsu1.jpg
グロリアスーパー6(プリンス・日産)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:PrinceGloria-super6.jpg
Prinz 1000 TT
http://sv.wikipedia.org/wiki/Fil:NSU_TT_am_1975-07-13_Willi_Bergmeister.jpg
Ro80
http://af.wikipedia.org/wiki/Lêer:NSU_Ro80_1975.jpg
VW K70
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Volkswagen_K70_Offenbach.JPG
Audi 50
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Audi_50.jpg

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車検終了(NSU Prinz4L)

リアエンジンルーム
リアのエンジンフードを開けたところ
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年末に車検を(正しく)取得して戻ってきました.NSUというドイツの車メーカは1969年にVW(フォルクスワーゲン)グループに入り,その後現在のAUDI(アウディ)となるAUTOUNION(アウトウニオン)に吸収されていて今は存在していないのですが,ヨーロッパ(特にドイツ)には愛好者がたくさんいて,古いNSU製の車を維持しています.部品はネットオークション(http://www.ebay.de)などを探せばまだ見つかりますし,普通に販売しているドイツのサイトもあります(http://www.nsu-autoteile.de/).また,どういうわけかイタリアには純正の部品の再生産をやっている会社がいくつかあり,この車の画像にも見えますが,マフラー(排気管:銀色の長い筒)は新品が2万円ぐらいで手に入りました(40年前の車ですが).マフラーはイタリアのIMASAFというメーカが作ったものをカナダの販売店が持っていることがebayで判明し,船便でカナダから到着しました.

このようにしてこれまでいろいろな部品を取り寄せて今後の維持に備えています.

今回の件で特筆すべきは車検を依頼したFオートのご主人,いや師匠と呼んだ方がよいかも知れませんが,この方は若い頃自動車整備技術を磨くためドイツへ渡りNSUで研修された経歴のある方で,日本語よりドイツ語の方が堪能ではないかとご自身で語られるほどの人なのですが,この車のことをよくご存じで,大変助かりました.「昔のことを思い出して涙が出た」というようなことをブログにも書いていらっしゃいます.

実は車検を依頼したのは9月だったのですが,
師匠「いやいま車がたくさん入庫してまして(仕事を増やしたくない感じ)..お車はなんですか?」
わたし「あのー..NSUのプリンツなんですが(車名を出せば絶対に引き受けてもらえると思って電話している)」
師匠「あー 珍しいですね(声のトーンが変わる)」
(車検の期限はいつかというやりとりをして)
師匠「実は9月末から部品を買いにドイツへ行くんで,その後から整備させてもらえるなら引き受けますが」
わたし「??(え ? ド イ ツ へ 部 品 を 買 い に 行 く と ?)」

この師匠のところへは都内や東京近郊のドイツ車の,それも販売終了&日本から撤退となったオペルのマニアの方などが集うようでして,その方たちの車両の整備のための部品を買い付けに行くとのことでした.

師匠「プリンツの消耗品もいくつか判ってるから買ってきましょうか? それでどうでしょう」
わたし「おねがいします.こちらでもいくつかパーツは買ってありますし」
師匠「わかりました.とりあえず車を持ってきてください.」

というような電話をやりとりして,車両を持ち込み,ざっと点検して交換した方がよい部品でこちらの手持ちがないものを買ってきますということで,お見送り..などなどおもしろい経験をしました.

***

戻ってきた車の方はもともと調子が悪いわけではありませんでしたが,いろいろと車検取得の際に調整をして貰ったおかげで大変快調になりました.休日の午前中に白金→広尾→麻布→青山→渋谷→中目黒→代官山辺りを巡って自宅まで一回りするのが習慣になりつつあります.

横姿2

参考リンク:Fオート(2010年9月6日の記事に入庫時のことが載っています)

***

ドイツのサイト(http://www.ebay.de)を英語で見るにはインターネットエクスプローラにgoogleのモジュールを追加してページ翻訳するとよいです.業者とのやりとりは英語でまったく問題ありません.

NSU 車検

この車が車検時期になりまして.

最初自分でやろうか(ユーザー車検)とも思ったのですが,なんと過去これにドイツで乗っていて NSU社に在籍されていた方が新木場の近くで整備工場をやっておられることが判明したのでお願いすることにしました.

なんと部品をドイツへ買付けに行ってしまわれました(他のお客さんのものが大半).その方のブログに車の写真が.

しばらくお別れです.

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昔 こんな学生がいた.
整備

先輩から走行距離93000キロのヨレヨレになったPulserを25万円で譲ってもらい夜な夜な練習し,ダートでエンジンを壊して載せ替える彼.なにしろ車がないと所属のキャンパスに通えない.
中古エンジンの値段が確か3万5千円だったか.

なにも言うまい.

VDOの時計をなんとかする (NSU Prinz 4L)

この車を買ったとき,40年前の車なので機械式の時計は動いてくれませんでした.
それを何とかするお話.

↓左のメータがその時計.
NSUのダッシュボード

↓7mmのレンチがあれば5分で外せます(フロントにエンジンはなく,すっからかんなので)
 40年経っている割には綺麗 前面はガラス製
VDO正面

↓後ろ姿 70と見えるのが製造年
VDO背面

まず分解して構造を調べると,時計自体は小さなスプリングの力で動く機械式の
古典的なメカニズムと,そのスプリングを定期的に巻き上げるための,
エレベータと呼ばれる電磁石による巻き上げ装置とで出来ていました.

VDO中身

動かない原因の一つは,過去のオーナーがすでに修理にチャレンジして失敗
していたようで,電磁石のほうがイカれてしまっていることと,動力スプリングがすこし
伸びてしまっていることでした.スプリングは交換すれば大丈夫でしょうが,
電磁石の方は修理できる状態にはなく,代替案を考える必要が出てきました.

これにはつまり定期的に巻き上げる動力が必要ということで...それならば小さい
コンピュータでステッピングモータを駆動させ,その力で巻き上げさせるのが
作りやすいと思ったわけです.

↓結果(動画@youtube)
動画に登場した動力スプリングは,秋葉原のスプリング専門メーカ「アキュレイト」にて
似たものを買ってきて交換してみました.

駆動回路については市販のマイコンキット(サンハヤトのMT-R300とステッピングモータ
基盤)を利用し,間欠的に動かすためのプログラムを書いて,コンパイルして流し込んで
おしまいです.

↓ 時計,時計の脇にくっついている白いものがステッピングモータ,それを制御する
モータ駆動基盤とマイコンの基盤,プログラム書き用のPC
VDO全体回路

あとはこれ(2つの基盤)をケースに収めて,12Vを5Vに変換する仕掛けを
挟んで積み込みました.
遅れ進みの調整をしたところ,うまく時を刻むことができるようになりました.
めでたしめでたし.

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ウインドウウオッシャーポンプ(Prinz 4L)

ポンプ正面突っ込みどころ満載のドイツ旧車,NSU Prinz 4Lのウインドウウオッシャーを出すためのスイッチがドイツから来ました(www.ebay.deにて落札).いまの車のように電気モーターによるポンプで洗浄液を噴射するのではなく,この黒いゴムの部分を指で押すと,中の空洞が狭くなり,その分だけ洗浄液が噴射されるようになってます.まあつまり固い風船を押してるようなものです.また,まわりがぎざぎざになっているのは,このつまみ全体を回すとワイパーのスイッチが入る仕組みのためです.それはさすがに電気仕掛けですが.

ポンプ背面後ろにはチューブをつなぐ管が出てます.ちなみに昔乗っていた古いVWのType 1(いわゆるビートル)の場合は,フロントに積まれたスペアタイヤの空気圧を利用して洗浄液を噴射するというもので,室内のボタンはその空気を遮断するか開けるかのスイッチになってました.指で押している間は噴射されるのでウオッシャーとしては良いのですが,いろんなところから徐々にスペアタイヤの空気が抜けていくので当時は困りました.

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リペアマニュアル(Prinz 4L)

NSU Prinz1から4, Sport Prinzの詳細整備書.
 Londonの元(?)自動車整備士の方からebay経由で入手.
目次はドイツ語の他に英語,フランス語,イタリア語,スペイン語になっているけれど
本文はドイツ語が英語の対訳付きで載っているのみ.

Prinz4マニュアル

整備書表紙
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